ボールをよくみて!腰から打たなきゃ、分かるか!新川!

 

今、京都で澤田隆司の作品が少しだけ展示されています。

澤田さん、亡くなっても、人気ですね。

 

最近、澤田さんがとても流暢に僕に話をしてきた。夢をみた。

作品は、そのひとのものだから、新川は扱い方に注意しなさい。

お話しできにくいひとの作品も、新川は扱い方に注意しなさい。

新川は新川に注意しなさい。

それが、いつも確認できていたら・・それでも注意しなさい。

 

それだけの夢なのだが。

 

この世界は、ある種の「わりきり」がないと進まないのが実情であり

「割り切り」と「言い切り」に前進と集まり、

いわゆる「溜まり」が形成される。

全てを汲み取ろうとすると、停滞になる

 

最近の施設は、工場のような気がする

旗を揚げる「人」で、その工場は稼働していく

工場に居る「ひと」は、「人」の動きに任せるしかない

この「人」が「ひと」に代わらないかと

 

義務で行かなくてよい場は

その「ひと」自身が自然に作る場を目指したい

机とイスしか置かなくとも

その方を信じれば、自分で想像するものだ

 

こちらが、作り込むのではなく

「ひと」がつくる場を

 

なにも置かない、何も無いところから

「ひと」は創造することを信じて

 

 

シンプルに。

 

 

極めて、純粋かつ単純かつ複雑を紐解いて。

 

 

 

 

 

笑っているのは、うれしい時

泣いているのは、かなしい時

おこっているのは、腹が立つ時

悲しいのは、さみしい時

だけではないように、すべてが

 

 

 

 

 

澤田さん、そんなこと想うんですよ、若輩ながら

今の新川、これであってますかね。