一円玉として

 

 

先日、ある企業の方から一枚のハガキが届きました。
丁寧に一筆を添えて。
なぜか、ハッとするんですね、なぜか
この10数年、税金で支えられている身にとっては
忘れそうな感覚でした。

 

自分が1円玉を稼ごうとしていた時代にフッと還ったと申しますか
言い方は悪いかもしれませんが、

お金が見えにくい体型組織はどこか生温いなと思うのです。

一円玉を助成金でいただくとか、一円玉を意識しない会社とか
恩恵のパターンは、芯のミッションが手薄になりそうで
倒産はしにくいですが、「生きる!」目が失いそうな感覚に。

 

稼ぐことをタブーのように扱っていますが
結局のところ、一円玉に支えられ稼いでいるのではないかと。
お金を手にとって一度、

じっくり重みを感じなければならない時期にきていると思っています。

一円玉を稼ぐことに必死になることが、

社会生活や社会活力につながっているのではないか

僕が書くのは、あまりよろしくないかもしれませんが

選ばれる組織や企業、選ぶ側の方々は責任という一円玉を預け預かっている

今一度、一円玉が見えなくなっている状態から脱した
重みのあるアルミ一枚に、責務と立志する試みを抱きたいと

みなさまから預かっている重み
それを返す重み
市場でその重みと戦っている方々の一枚のハガキに
自分がハッとされた気持ちを
しっかり自覚し意識したい

 

 

手のひらに重みのある一円玉を眺めながら

 

 

しんかわ