それは大極に過ぎず

今、色々な資料をみながら、片山工房の今後を考える。

そもそも、ある程度のことは想定に入れるのが責務なのだが、想定外が多い。

最近、つくづく思う事。

 

それは、自分でコントロール出来ない事の方が多いと言う事。

全ては、大きい流れと小さい流れに任せるしか無い、「大極」なのだと。

何事も、前向きに受け入れ、自然に合わせたいものである。

 

最近のニュースで、熊本の地震や、舛添都知事や三菱自動車etc。。

地震に関しては、デリケートな話だが、端的に言えば本当に「人」がコントロールできない世界、

農家の方々が日々鍛錬されている「自然との調和」が無いかぎり、

また「人」は無造作に自分たちがコントロール出来ていると解釈し建造物が勝って行くに違いない。

知事や自動車は言うまでもなく、自分の視点から操縦桿を握ったに過ぎない。

前提にも書いたが、「自分でコントロールできる事は極めて小さい」

 

 

片山工房の利用される方の頻度を先ほど出してみた。

これがまた、面白い(実は経営上では面白くない)のだが、

雨や風、熱さに寒さ、そして季節の移ろいの時期、極めて「お休みが多い」

本当に自然の摂理と「人」は共存している。

それをテクノロジーやイノベーションでフォローしながら、

毎日を当たり前のように「元気に」生きていかなくてはならないシステムであるが。

少し寂しい現象だとも感じる。

 

そう考えると、片山工房の存在意義は「自然と対峙する場」事ではないかと。

運営上の改善策は盛り込んでいくが、「人」のあるべき姿を

この街で実現したい想いがある。

そんなことを、思う日である。

 

コントロール出来ない世界を受け入れ、すべて大極であることが

結果的に自然な流れに合わされ、メリットデメリットの均等につながるのではないかと、

経験からくる「読み」は必要だが

感情を左右されない真意を持ちたいものだ。

 

 

しんかわ