そして誰の世界。

 

実は、まだ、広報はできないが

また、他府県で早々に作品展をすることになる。

いつも思う事だが、アートの世界はとても「ふわっと」している。

最近、誰だったか。。

新川さんはアートに対する自信がなぜあるのですか。

と問われた。

僕自身、とてつもなく自信は無いが、

アートの世界ほど答えの無い「枠」はない。

自分の主観がどれだけ人と共鳴するか、どれだけインパクトを共感できるか、

どれだけストーリーを分かち合えることができるか。

その世界感故に、だれでも「してもいい」

 

そして、だれもが「アーティスト風であると断言できる」

プロのアーティストってなんだろうか。そもそもプロ。

 

その感覚がこの15年を「絵」と言う軸でも、

なんら負いめなく進めて来られた要因でもある。

 

語れるのは「ご本人のみ」しかない。

 

とびきり、大胆にも演出できるが、副作用として、

それは、大きくデリケートな事を自覚しなければならない。

そもそも、アートってなんなんだろうか。

別に核心がある訳ではないが、

全てが自分の「気になるもの」が自身のアートの起爆剤と原動力、

そして原泉になっているだけのようにも感じられる。

 

公募展も、傾向と審査員の主観が大きく作用し、

真新しいか、その方の興味のテイストに傾向する流れが生じる。

 

強烈に良い作品は昨今、ご本人の想いとトウザカル傾向にもあり

語れるプロデュース人で、社会と世界に問う力強い方向にリカバリーし

リセットをどこで押すかがキーになっている様に思う。

パラシュートは背負ったが、着地点が定まらず、地点が無数に点在している。

ある一つの事象は解決しても、瞬時にある一つの事象が浮上する。

それはもう、エポックメイキングでなはいだろう。

 

トワイエ、世界で認められ感は、狭い島国では賞味期間はあるが、有効でもある。

日本でのアートシーン(芸術の場)の世界は、とても整列されている。

神戸ビエンナーレが終了したが、運がいいのか悪いのか、

僕は全てに「障害のある方の作品部門」を担当した。

 

その時も感じたが、日本は絵の世界でも、

「人と障害者」=「絵と障害者アート」に分けられている。

 

最近は、現代美術やアール・ブリュット、そして各地のほにゃららアート。

突き進めれば、掘り下げれば、ま、「アート」に過ぎないが。。

 

日本文化史的にも保守的でもあり、当然、出るものもでないし、

美大出身の学生が何万人も輩出しているが、

成就していないのが日本であるように。

 

その隙間をぬって、福祉的アート(だいたい障害のある方の芸術が施設から誕生、

そして、自分の作品を世に出したいとか、賞を穫りたいとか、

アーティストとして生計を持ちたいとか、最終は美大の教授になりたいとか、

絵で感じてもらいたいとか、戦略的に自分を売り出したいとか。。

語る方が少ない分、良い話だと思うと福祉関係の方々が決定する傾向がある、

それは、僕自身にも言える。

アートと福祉のジョイント役が軟弱にも関わらず、

とてつもなく、したい人がしたい事を出来る市場的想像地)

がシステマチックに存在感を増している。

 

だからか、作品を世に出す度に、レクイエムを感じるのは僕だけなのか。

 

美術史から美術専門、そしてデレクターにデレクション、

キュレーター、学芸員、そしてそして、日本美術会や数々の学会。。

何を信じて「日本の地の芸術に自分の顔を合わせるか」

今後、福祉施設だけに、俗にいう障害のある方のアートは集まらないだろう。

その時、現実に生きておられる状態で、その方を語ることはできるのだろうか。

世に出たい、世に出たくない諸々。

みな、どこまで責任をもって役割と言う名の着地点を築いているのか。

 

ただただ、普通に生き、静かに生き、しあわせに生きることを、

根幹的な「人の眼」があることも、一考の余地がいる

 

アートの世界と福祉の世界は、「人の世界」に属し

その方々が、「選ぶ世界」

そもそも、実は実りの「無い世界」

もう少し遠い20年後を観ながら、書いてみる。

 

今、これから行う作品展を思いながら。。

 

どうすれば

 

人の望みを、両手で触れ、相手に渡す事ができるのだろうか

僕の課題である。

 

 

君は、それで、しあわせですか。

そんな事は青臭いですか。

良い作品は良いんだからと。突っ走れば良いんですか。

今日も、静かに黙々と描く片隅で。

いつもこの辺りで静かに巡ります。

 

 

僕の、もう一つの命題として。

 

 

 

 

しんかわ