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本質
作成日時: 2014/11/06 (木曜日) 14:24
本質
色々考える。
最近、障害のある方に対して、色んな、カテゴリーが産まれている。
良くも悪くも。
先日、急遽、10歳上の、いとこに会いに広島に行く。
いとこは、小さいときの高熱の影響で、耳が全く聞こえない。
子どものときから、一緒に会っているのでなんの変わりもない。
ただ、ごく自然に時が進む。
でも、小さいときに、母親から、「耳が聞こえない」と言う事を
しっかり教わった記憶がある。
真っ直ぐ、隠すのではなく、本質を教わった。
それは、初めて、違いを教わった日でもあった。
違いがある事を、素直に認める事で、
それは、劣っていることではないことに気づいた。
だから、僕ができる事を、自然に僕が代わりにした。
夏に、子どもたちで、家族旅行にいった。
電車の中で、片腕がない方に出会った。
子どもたちに、見せないようにするのではなく
片腕がない方の本質を伝えた。
カテゴリーをつくるのは、悪い事ではない
でも、何かが、ぼやけているように思う
本質をぼかしているようにも。
カテゴリーをつくらなければ、身動きができない体質は好きではない。
運動会では、一着・二着が消え、色別でゴールする
本質の違いから、目を背けているような。
これでは、得意も見つけられない、互いに補う事もできない。
ただ、違いをみとめ、ごく自然に補い合う世界観を
本質から目をそらしては、事実を改善する前で停滞している。
妙なやさしさを育むのではく、やさしさの、その向こう側を
教えなければ、本質と言う強さに、ぶち当たらない。
ぼやけた世界ではなく
時として、本質を見抜き、応用が効く目を
育てなければならない。
大枠の言葉で「隠していては」
本来ある姿で、互いに補う事は、むつかしいように。
そんな事を、帰りの電車で想いに耽ていた。
しんかわ