多様性の真意

 

 

専修大学 人間科学部 社会学科の社会調査士学習、報告書を頂く。

昨年の秋に片山で行われた実習の報告だが、

久々に「片山工房とは」を再確認できる内容だった。

 

客観視できることは大切なことだが、対象の学生の方が、

福祉やアートに精通していなかったことが、

結果として片山の基盤をえぐる内容であった。

 

報告書とあって、片山にとって、響きの良い、聞きのよい内容でもあるが、

これほどまでに、良い意味の「普通に感じたこと」を

記載して頂いた事は今後の方針や指針の糧になる。

 

学生の方が考えたのではく、「ひと」がそう思ったことに値をかんじる。

 

テーマとして、「芸術と生活と人の多様性」と言う、

まとめることこそ、テーマを崩すテーマ性に挑んで頂いたことに、感謝の念を抱く。

 

常に意識している事がある。

 

「社会にさせてもらっている姿勢」

片山は、究極に求める人がいる事で成立している、

自分の想いや意思でつくってきたように思いがちだが、

結局の所、世間の方々にさせて頂いていることを感じれば、

感謝からことが進んでいくと信じている。

スタッフは、来て頂いている事が「ありがたい」と感じ歩んでいる。

 

この姿勢は、社会の中に存在する場として、街の中に存在する場として、

所作をあげていく容姿にしたい、そのような場が街の姿に反映できればと感じている。

これが、社会の場で存在と維持につながるのではないかと。

 

多様性(ダイバーシティー)の観点は、

多様性の中に必要とする多様性を見つける事がそもそもの核を維持し、

片山に感じる多様性は「違い」の確認と「違い」の価値を明確に振り分け、整えたことが、

今の必要性の維持につながっている。

 

違いの尊重や相違点が、今後の「求める」方々の足の運びを明確にとられ、

事業に貢献できる、街や市民に貢献できる要「場」として考えている。

福祉を向上するものは国民であることも、

向上する為の資金は、国民(市民)の方々が営々として築き産み出して来た税金から成り立っている。

形上は国が動かしているように見えるが、そもそもは国民手動である。

 

生活とは、「生きる」と「活きる」をつなげる行為であり、

命をつむぐことであると思っている。

 

結果として、

 

 

「人の求める行為が社会の中で活きる行為となる。」

 

 

そんなことを、ただただ、思う日。

 

長くなりました文面、悪い癖です。

 

改めて、整理していかなくてはいけません。

 

芸術も生き抜く為の「行為」ある生活の一部かもしれません。

時として。

 

 

本当に、良い実習と良い報告書を頂きました。

 

 

後藤先生、学生の方々に感謝いたします。

100ページに及ぶ報告書。

たくさんたくさん、おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

しんかわ拝