大枠のおはなし

ここ最近、片山のあり方を知ってお話しに来られる方が多い。

でも、どうして成り立っているかの質問も多い。

いや、どうして成り立たないといけないかの質問も多い。

 

そもそも、片山は無認可作業所をベースとして成り立っていた。

名の通り、作業をしなければならない場であった。

それと、時代の流れにより、法人格を有するものにしか、作業所の発展はなかった。

NPO法人を取得する道が迅速かつ効率的であった。

今としては、色々な手法があるが、作業所から社会福祉法人にはハードルが高かったのも要因。

多分、全国のNPO法人の中で極めて低い水準だが一番資金が回転しているのは、

福祉業界であると思う。

気になる方は、都道府県のNPO関連のサイトにこの時期から

決算等の閲覧が可能なので参考にしてほしい。

何度も言うが、極めて低い資金。

ほぼすべてが公費である事も念頭に入れてほしい。公務員にすこし近いのである。

 

では何故、片山が成り立たないといけないか、

渦中にいるが、客観視して考えると、

そもそも施設体制と行政体質がガチガチな構造だからである。

 

ワードとしては。「選ぶ時代に、選べない時代へ」と変化している点にある。

もう、古い話になって来たが2006年に当時の自立支援法案が施行し、

措置から契約へと流れたにもかかわらず、選びにくいのが現状であり、

片山を行っていてもそうだが、他の事業の方々との連絡や請求業務やで、

常に休み無しに連絡と請求に追われている。

そもそもの、考えは良いが、システムの力が弱い。

 

施設体制もそうだが、一度大枠の施設に入ると、辞めないかぎり、

他の施設は利用しにくい点にある、

これでは自由な契約と言う発想すら失う。

ましてや、施設の軸が定まっていない、施設の想いが強すぎると、

本人の希望と想いに反映されにくい場で生涯の場として決定していかなくてはならない。

 

それでは、片山工房という場が制度利用の限界をしっかり示し、

逆に利用される方々や、行政の方々、他の事業所の方々に、

サービスとしてより柔軟なパターンを具現化して提供する事で、

実務を理解し、実際の頭をガチガチの状態から、柔らかくほぐして頂きたい想いで、

ここ数年、どうしても成り立たないといけないと感じているのである。

 

ただ、片山としても未来ある場を築く準備として

ここ数年で、必要なニーズをしっかり読み整えて来ているのも現状だが、

お休みされる頻度の多さに減収と財源の均等を見据えた、

次のシステムを提示したいのが本音である、

もっと柔軟な「パス制度」全国の場を、円滑に月単位や日単位で使用出来れば、

色々な方が色々な方法で色々な歩みを出来る事になる。

自由度が増すばかりか、使わない日も増え、義務で施設でいく必要がないことにも気付き、

違う事の世界をひらく可能性もでてくる。

そうなれば、障害のある方が障害のある場だけに足を運ばなくなるかもしれない。

それこそ、社会を自分でみる機会を増やすのではないかと考える。

使わない分は、社会保障の軽減にもつながる。

本来ある自律に近くなると考える。

 

ただ、これが一貫として、いい仕組みではなく、

ひとつの選択肢として必要な仕組みである事がふさわしい。

なぜなら、良い施設もたくさんあるのが現状でもある。

 

今後の施設の選び方や存続として、人口の低下とともに、

施設の選びもシビアな時代に突入するであろうと考える。

小学校は廃校が進み、建物の維持と活用法が見合う場が存続理由になってくるであろうし、

幼稚園・保育所も待機組の時代から、選ばれる場の危機感を持つ時期に来ている。

そうなればなるほど、税金として社会保障の枠である制度の維持を、

国が打ち出している、「社会保障と税の一体改革」がどこまで国民負担と追随して事が進むか、

「国民負担=租税負担+社会保障負担」ではあるが、

社会保障負担だけでは社会保障サービスを補える訳も無く、

改革の一途を進んでいる、人が減っていく時代だから税を増やすという、

要の改革であるにもかかわらず未来の懸念材料が多い、

ただ、増税なしで、社会保障と税の一体改革を行っていこうとして来た背景には

数字に特化した組織国としてはずさんなように思う。

数字の運びには市場との話が必要であり。

問題や不安がでれば、市場は国債を売りに出す。

国債の利回りが上昇すると、金利負担が重くなり、財政運営の厳しさにつながる。

多分、今のギリシャの市場では、国債を購入しようとしない現状が続き、

金利が上昇し、財政運営は厳しくなって来ているはずである。

日本は、国債を自国で90%以上保有しているが、いずれ海外投資家の保有率も増えてくれば・・。

少しむつかしくなって来たが、簡単にいえば、経済と福祉は密接しているように思う。

この辺は、もっと勉強して、簡素化した話にしようと思う。

頭が悪いので、お時間を頂きたいご勘弁を。

 

話は、それているようで、それていないのだが

では、なぜ片山は成り立っているか、

それは「求める力」と「受け入れる力」のバランスが微差になってきている点である。

「ニーズがある」それも、知る事でうまれるニーズである。

ただ、情報と固着観念のもとから、行政や教育機関、親御さんまで浸透していない点、

浸透していてもシステム上の手続きが、

おそろしいぐらい鎧を羽織った身体のように動きにくいに尽きる。

片山は常に、新しいことを行政の方々に伝え、理解を頂、ことを進めている。

「何々、初」が多い組織である。

 

抜本的改革までは、望まないが、将来必ず、人が減ることで良い場が減っていく。

増税はあるが、場に人が集まらない。

結果、競争意識が低下し、ある物はそのまま存在していき、

良くしようと心がけている所は重さに耐えにくくなる。

すなわち、今の現況を良くしようとすればするほど、

思えば思うほど、財源の確保がしにくいシステムである。

 

片山は、100年続ける想いでいるが、

本当の所、100年続けるには300年の発想・構想でやっと

100年持つか持たないかだと考えている。

 

利用される方の人生は、利用される方が選び、

制度を守る人たちと理解し合い存続させるべきである。

 

 

 

通われるかたの想いは、切実である。

 

 

 

あまり、まとまってない文を最後までお読みいただきありがとうございます。

じっくり整理していきます。

ただ、常により良くなるには、どうすればいいかを意識しております。

 

 

 

 

 

 

しんかわ