新しい風

 

新しい風

 

最近、頭が特に固まってくる

いや、固まっている、ことに気づかず固まっている。

 

とても必要な事だと分かっていても

どうしても、なんとか見ない状況で後にまわす。

このような状況が続くと、必ずと言って安定しているように錯覚する

そもそも、蓋をしただけなのだ

 

特に、上昇しているときは、もっと蓋をしている

本当に固まっているような事も気づかずに

 

昔に、引きこもりに関しての面白い本を読んだ事がある

たしか、ずっと引きこもっている青年の家に

姉の友達が少し居候する、青年にとっては一大事である

急遽、家族会議が始まり、というか、その家族で話す時間事態が

もう新しい風が吹きかけていた

その後、姉の友人の居候は少しの間、続いたのだが・・

結果面白い事に、青年は引きこもっているのが恥ずかしく

職探しをしている「ふり」を続けて、あたかも前向きな姿勢を仕方なくとる。

そんなこんなしているうちに、ハローワークに行き就職してしまう

それでも、何度も辞めては、何度もやり直す、

なんとなく以前よりも前向きな自分に気づく・・と言ったような話なのだが。

 

これの思う事は、家族として何かに蓋をするように、

実は、引きこもっている事が波風をたてずに安定しているかのような状況を

家族内だけで凝り固まりつくってしまっていたところに、姉の友人が「新しい風」となって

家族に吹き込んだ事、それがとても印象に残っている。

 

そう思うと、「家や自分」だけで片付けてはいけないことがあるような気がする。

どんな形でも、何かの風を吹き込む事で、

固まっているものをゆっくりと溶かしていく。

 

引きこもりが悪い訳ではなく、

「家」全体が安定している「ような」が

なんとなく真意に蓋をしている気がする。

 

最近、頭が固まっているような

そんなときは、自分から「新しい風」を欲することにしている。

 

その場(家)とこの場(施設)だけの二極化ではなく、色々場があり、

そのひとつに片山が存在することで「新しい風」になれば本望なのだが・・

まだまだである。

 

家と職場、常に風通しは良くしたいものである。

 

それにしても、新しい風は、時には必要なのかもしれない。

 

ものごとは、ちょっとしたことで、

変化し、いつでもやり直しが利く。

 

 

しんかわ