市場性と福祉

 

 

福祉には、市場性を織り込んでいかなければならない。

電車もそうだが、いいサービスを受けるには、それと対等の対価がついてくる

「対等の対価」とは。。グレードとは。。

すべてサービスの名の下、良いものには良い対価を提示していかなければ

全部同じ障害福祉サービス事業に落とし込んでしまう。

どれをとっても、対価が均一化し、唯一違うのは、

その方のもっている「もの」から評価が下る。

タックスを頂いている以上、それが理由で妥当なことだが、それに従事するものや、

それを希望と思い目指してくる学生には、市場原理で整えられている

「希望の先」を見せにくいシステマチックの状態に停滞される。

 

若いうちはいいが、やればやった分だけ「生きる」を示す事も、

経営陣としては責務のような気がする。

当の本人が振り返った時、もう30歳、もう40歳になっている。

何を捉え、何を得ようとしているのか。本物のキャリアを示す時期に来ている。

 

「福祉とお金」「福祉とサービス」これはどちらも同じである事に気づかなければならない、

サービスとは無縁とおもえた業界に、

今後、サービスの重点を加えていかなければ、

明日ある人材には恵まれない非市場生産の場に置かれるのかもしれない。

 

「幼い安定感」は皮肉にも、ハングリー性と将来性を奪っているのではないかと感じている。

 

この点を、どう補強するかで、今後、人口低下の場の影響や、

良い人材と将来性ある場の提供に伴う、

使う側と示す側の本来ある良好な関係性に

目を向ける事が出来ず、平行線に陥る。

 

たまに、「良い事をしていますねと言われる」が、

これが仕事であり、これが生業なのである。

質を落とすのなら退く事も覚悟の上で進んでいる。

 

仕事とは、社会の全てに役立つ上でなりたっているが、

ただ「する」のではなく、何故「する」か、

その「する」を提供、共感し、質の向上を図りたい。

 

市場性とは、良いものが残り、必要でないものは去るシステムだが、

福祉としても無論同質感が必要である、障害福祉として、50・ハーフ足を踏み入れる事が、

今と未来の目の覚めた「仕事と選択」につながり、

サービスと言う言葉が、違和感無くフィットした時に初めて、

使う側の未来と、従事する側の未来に整合性と方向性が一致するに違いないと。

本来、着手していかなければならない現状に、なぜか目が向ききれていない

 

サービスには進化があり進歩がある。それが文化であるかのように。

 

当然、私の心はサービスと言いたくない福祉論が歴然と存在している。

だが、生き残るため、今をより良くする為には、

心の福祉を残しつつ、明日のある変化に対応することも一理。

 

20年先を見た、「今」を。

 

今から産まれてくるであろう「人」の「今」を感じながら。

 

常に目覚めておきたい一心で。

 

 

 

しんかわ