雨の中、ジャンプするカエルは儚い故に美しい

 

 

そんなに難しいことを考えている訳ではないが

往々にして「難」というのはやってくる

それはとても、美しい姿をしていることを最近自覚しはじめている。

 

これは、とんでもないことだなと思った瞬間に

リカバリーしようと脳が補正機能をかけだすのだが、それでは突発的な脳の言いなりに過ぎず、

脳をコントロールするには、常に「美しさ」との闘いではないかと感じて仕方が無い。

分かりにくいのだが、文章にしにくいのだが。。

 

補正システムを一旦解除し、難を食らうことで、

不安定の中の意図する真意と意義と対峙(退治)し探り出す、

そうすることで付焼き刃の案からは想像もつかなかったような

「正当な考え」が生まれるように感じている。

 

将に「美しいシステム」が成り立つ瞬間でもある。

 

また、とても困難なシステムを産み出すことにも時としてなるのだが、

一定の勝算も見え隠れすることに、

定めを求める力が奮い立たせるものでもあり、

儚さもおまけで付属品として納められるが、詮無いことである。

 

そして、気を逸らすことは、必要な場に熱量を注ぎ得る手段のように、

「詮無いこと」と「難」はとてもフォルムが美しいことに気がつく。

 

自宅の小さな花壇にあじさいが咲き

波打つグラデーションのドーム

雨の中

カエルが天めがけジャンプする

それは、美しく、とてつもなく儚い様が

しっかりと次のジャンプを打つ

全ては

雨の中からはじまるように

詮無いジャンプと知って飛ぶ美しさよ

そこから、本質なる実が稼働しはじめる

そして難から軟に変換される

温室で自然界は育たないように

やまない雨はないとしっているかのように

雨の中、ジャンプするカエルは儚い故に美しい。

 

 

 

 

しんかわ