人の眼

 

最近、ありがたいことに、お話をする機会を頂くことが多い。

質問で、ながく続けるにはどうしたらいいですかと言われる。

これは、とても簡単なことで、

自分しかできないことをするだけだと感じている。

 

それと、今の自分の量を自覚することだとも思っている。

人の眼より  

自分の眼を信じるに尽きる

それに共感する方は集まり

それに共感しない方は去る

とても、現実的で僕は好きな多様を感じる。

 

僕はとても、数字が好きで、それは分かりやすいことと

とてつもなく、解読できないものがあることに絶対的な魅力を感じている。

 

良く違いは素晴らしいと言うが、違いは素晴らしくなく当たり前である。

 

とても思うことがある、それは

何でもかんでも、「強調」すれば、大抵いいように見えるものだ。

 

代弁ではなく、自弁でありつづけること

 

僕が思うことは、「考えずにできること」を出来る人になってほしい

それは、あたかも自然界の厳しい当たり前を受け入れるように

自分の眼で落ち着いて吟味し進んでもらいたい。

 

虚栄心や慢心、当たり前にもつであろう心も、自分の眼でみつめてほしい

 

人の眼は、自分の眼であることを知ってほしい。

 

世の中には、かわいそうは存在しないことも。

 

少々、語りたいこともズレつつあるので、これにてと言いたいが

 

ながく続けるには

 

自分の眼、それは正しいか、それは必要か、

先見の明に匹敵する「明」か、

 

自分の眼に「孤高」を抱き登山しているか

仲間意識の前に、横とのつながりの前に、

自分とは、自分とのつながりとは。

 

自分を偽らず、広い視野と狭い洞察力に球体の眼球をスライドしているか

 

そんなことを自分にも言い聞かす。

 

乱文失礼。

 

片山工房は、とても素敵な方々の水の流れを受け、航海させて頂いている。

利用される方、スタッフ、関係者に、たくさん恵まれている。

足りていることを教えてくれる。

そして、秋にかけて、色々なお知らせがあります。しばししばしお待ち下さい。

 

面舵も取舵も

心の眼を大切にしたいものです。

 

人の眼は自分の眼。

 

経済や統計、趣旨に志の前に

 

もっと、澄みわたる青空に伸びる若葉のように

自由と堅さを育てることが続いていくことのように。

 

 

 

 

しんかわ