捨ててみる。

 

よく一年を振り返ってと書きたいところだが

振り返らずとも、脳裏にピシッと張り付いているんですね。

大切な事は。

 

片山を進めて14年目に入ります。

そう、僕の長女と一緒の中学二年生なんですよ。

とってもむつかしい時期ですね。

 

方針や方向性も、家族と言うスタンダードな列車から

自分と言う、路線に変える時期にも来ています。

 

星の数のように、たくさんのニーズ(要望)はあります。

すべてを補える事は出来ませんが、

僕たちはこのような路線です。

そんなことをしっかりお話しする時期に来ているようにも思います。

常にお話はしているのですが、いまいち曖昧といいますか

削ぎに削いで、削ぎ落とした「列車」をお披露目しないと。

 

うまい事行ってるな〜とか

これは行けない方向だな〜とか

地道だけど、実はこのへんがたいへんなんだよな〜とか

これでいい〜とか

よし、これいけそうだ〜とか

ん〜なんとか〜とか

円(縁)で囲んでみると、グルグル回っているだけのように感じてます。

 

あるとき、次女がパズルをしていて

1ピース足りないことにショックだったのでしょう

もうあきらめかけていたら

三女が、青く塗った1ピースを勝手に作って

ふたりで「わぎゃわぎゃ」いいながら完成だ!といっていました。

 

そう、方向が同じなら、足りなかったら、誰かがつくっているか

自分でつくるんです。

 

先日、奥さんと車に乗っていたら、どうしても右に僕が出たい

ただ、その時は、左にも抜け道があったんですね。

その時、奥さんが左にいけばいいんじゃないかと、僕は腑に落ちないまま

左の抜け道で帰宅しました。

帰ってきて、奥さんと話していたら、道があるなら行けば良いし、

相手が嫌な思いをすると、また違う相手も嫌な思いをする

「嫌がゴロゴロと旅をするだけだと。」

そう言われて、フッと我にかえると、ただ早く帰路できた。。

とか自分の小さな「傲」なんですね。

「傲」と「業」のバランスがとても意味あるものだと思うんです。

東シナ海or北海ぐらいの違いなんです。

たとえが、分かりにくいですね。

 

片山工房は、本当に稀な施設だとつくづく思うんですね。

来たい(期待)日程をスタッフと話し合って、来たい(期待)日時を決める。

それでも、たっぷり休まれる。

これで、なんで経営できるんですかと、とっても聞かれますが

実は、初めの方は、もう難しいんじゃないかと言う場面もたくさんあったんですよ。

でもね、他の方の想いを信じたんですね。

それと、他の方の願いを少しだけ共有させて頂いたんですね。

それだけのことなんです。

ただ、それでも、今でもどうなんだろ〜とか。

思う事もあります少々。

 

ん〜。多分、僕が言いたい事は、

自分だけの事では、なんにも進まない。

それを言いたいんですね。

 

それと、この前も面白い事があって

コンビニに傘をさして行ったら、外に出た時にはないんですよ。

あ〜でも、仕方ないなと思っていたら、長女が、傘をさして前を歩いてたので

入れてもらえたんですね。

そして、帰り道に色々、家では話さない事を話してとても豊かだったんです。

それが、今でも良い思い出となってフッと思い出すんです。

 

これは、人間万事塞翁が馬と言いますか。

 

そんなもんなんですよ。

 

計画とか、方針とか、とっても大切ですが。。

 

「あきらめ」と「情熱」が混ざり

人が人を想ったときに

ずば抜けて、この現象が現れるです。

 

 

無いのではなく

 

それは、違う形で

 

必ず、補われている。

 

多分、今年の終わりにそれを言いたかったんです。

 

色々な事象は、あるべくしてあり、正され、

多分、全てが、長い目で見ると大丈夫なんです。

 

よ。

 

 

それでは、みなさま Happy New Year。

 

 

あ、片山のラストは28日、明日まで。

 

このような、なんとなくな、むつかしくない文を書かせてもらえる

「余白」を頂いている自分に、

周りのスタッフやメンバー、関係者とすべての方々に感謝いたします。

 

 

 

しんかわ