年末のごあいさつ。

今年、最後の仕事納め。

少し、かための文になりそうですが・・

いや〜全体をみましたよ今年は、地味に進めたわりには、色々な言葉と

色々な音色と、色々な風を頂戴致しました。

 

 

やはり、「人」が軸。

 

そして、経営と帳尻。

 

福祉サービス事業の表裏。

これは、どうしても「平等等価配分」が人の福祉と

なかなかフィットしないことに気付く、

五年でようやくおぼろげに見えてくるもの、

効率を考えるとなにかが沈み、福祉の衡平を図れば図るほど、

「個」に見合った、需要と供給の市場原理には、

対抗できない「福祉」の偉大さと、

将来性の不透明さを感じずにはいられない年でもあった。

 

どんなに良いサービスをしても、均等な価格帯があり、

どんなに人が利用して頂いても、

それに準ずるように「ひと」を雇用するシステム下で、

福祉は成り立っている。

そもそも、社会保障が財源だけに、

どうしても枠から出る事はとうていむつかしくなる、

今の片山の「個」の自由度を高めるには、この枠組では、

できる理想はあっても、できる市場が現時点で確保成立していない。

競争は善ではなく、サービス事業は善である。

この競争指針がうまく利用できない現況をみつめているのが現状でもある。

 

少し話はそれるが、僕は統計学が好きでもある。

ある方が100%の想いがあり、

40%調子がよくなく、60%調子のよい。

だったとする。仮に40%の指数が500 

60%の指数が600だとすると。

 

P(調子がよくない率)=P(X=1)

P(調子がよい率)=P(X=0)

=P(X=1)×500+P(X=0)×600

=0.4×500+0.6×600

=200+360

=560

不確実性ながら、平均以上の想いをもって来られることは立証され

あとは、想いとどうつなげるかが、仕事として表される。

実は、この平均を越える事が、とても意味があり意義がある。

こんなことを、数値化することは、「人」として味気ない事だが、経営となると

その側面も多少の重要性を増す。

片山自身、とても小さな乗り物に過ぎず、

規模の違いを改めて考えさせられる。

内容はさておき、

規模だけで言うと、森永>亀田>梅垣、

コントロールはしやすいが、商品の数と生産量は梅垣に匹敵する。

数学は理論モデルが組みやすい。

ただそれだけでは、容易に事業はなりたたないことも身にしみている。

今後の課題も若干掴めそうだが、まだ素人に毛が生えた状態と言える。

 

次に経済学の古典も好きだ。

そもそも、労働とは、そんなことを追求してきた経緯がある。

そのなかで、古典のアダム・スミス「国富論」とカール・マルクス「資本論」

そして、ここが要だった、J.S.ミル「自由論」

この3冊が読み込んでも、まだまだ色々なものがこぼれ落ちてくる。

 

「国富論」は、

国民の毎年の労働を通じて国民が消費する生活の必需品や便益品を、

その国民に供給する「原資」であること、察すれば、

国民一人当たりの必需品・便益品の量が、その国民の豊かさを表す。

簡単に言えば、国民の生産力から、

日常の生活(衣食住)にどれだけ恵まれているかが

判断するための重要な手がかりであると、

その中でも、もっと細分化されており、

これは一読では安易に解けない代物でもある。

 

そして、「資本論」は、

資本主義経済やグローバル資本主義に金融資本主義など、

現代の概念も存在するが、

「資本」とはなんだろうを考えさせられる書、

この書の中で多く用いられるのは、「貨幣」ではないかと、

資本主義的生産様形式が支配している諸社会の富は、

「商品」に変換され、貨幣をもって、

日常の生活に必要な財、企業が原材料として使う財、

この辺りが少々むつかしいが、貨幣—商品の形の流通、

商品−貨幣の差額が「剰余価値」となる。

この豊かさを解いているのだが、これも一筋縄ではいかない古典であり、

理解するには何度も読み込まないといけない、事実、

頭で整理できていても、良い文句がでないぐらいキャッチが見つけにくいが、

紐解くと、知恵の輪のようにスーと入ってくる。

 

 

そして、最後に僕が関心を多いに持っているのが、

「自由論」である。

このミル自体がしなやかと言うか、

経済の中で停滞することを肯定しているのである、

そこには人間の成長を促す新陳代謝の余地を見出す精神が備わるとまで言っている。

ミルは思想家でもあり、功利主義を主軸とし、

自由と競争はそれ自体が達成される目的ではなく、

豊かさを実現する手段だと言い、

「定常状態」をよみ、資本蓄積の定常状態は、資本を積み上げていく力と、

資本が取り崩されていく力がちょうど均衡した状態といって述べている、

この状態はある一定の「場」、

片山工房で言えば、今(14年目)がその状況に入り、

これからを新陳代謝の場面へと繋がりを見せるのだと解釈できる。

経済全体の豊かさは、人間の成熟度が必要であると、

人間を軸に置いている事も面白い、「自由論」の中では、

とても中庸なスタンスを築いている点も人柄がでており、

圧倒的多数を占める大衆の支配に対抗するために、

個性豊かな個人が出来るだけ多く存在する必要性も強調している。

とてもこの回では書ききれないのだが、ミルの一節にとても僕が好きな文がある。

 

「人間の思索には、経済社会の力が及ばない孤独な場所と自然の空間が必要だ」

これには、今の片山の原点を確認できる。

 

この一年は、とても勉強になる一年であった。

実のところ、

片山工房の発信を自ら行わないと決めての船出をよく航海できたと思う、

それは研究であり、蓄積でもあった。

依頼されたものも精査し挑んだ、

社会とは、学校での社会、会社での社会、

家族での社会、友達との社会、

多様な社会に目を凝らす事も少なからず学んだと思う。

 

社会資源の中のポジションや、

片山の必要頻度、事業のコンセンサスの在り方、

今後重要であろう、他分野へのアクセスと他分野からの供給、

そしてなによりも、「数字」をしのぐ「人」の価値。

これらを、また、整理して進んでいきたいと考えている。

 

個人的には、自分の実力と知識の無さが浮き彫りになった年でもあり、

「プロメテウスの贈り物」が心に懸かり、ベル・エポック時代に想いを馳せ。

イマジネーションの活用と経営の力を見直す事を

第一義に意識していきたい一心で、駆け抜けたように思う。

結果、本当に穴があったら入りたいくらい、

力と実行、勤勉の弱さからくる停止を味わった。

だが、結果的に改善の的を絞れる良い年でもあったように感じる。

厚かましいが、周りのスタッフ・メンバー・親御さん・関係者に、

同・他業種の方々、全ての「人」に支えて頂いた、

感謝してもしつくせないのが事実である。

 

片山のスピードは極めて「L」ロー。

 

「L」から観る花はとても奇麗で繊細で、色が濃い。

 

経営と帳尻。

経営と数字

経営と人

 

 

 

人。

 

 

たくさん書いたが、「人」と「生産性」そして「労働」と「場」

そんなことを、とりとめもなく描いたように思う。

 

 

 

年末ご多忙の折ではございますが、

長い長い文面をお読みいただき、ありがとうございました。

まだまだ、未熟故、どうしても文が整わない状況ですが、

何卒、長い目で感じて頂ければ幸いです。

 

 

片山工房も、人が軸、そして表現の自由を明確で示せるように

社会に必要な場を、地道に歩んでいく所存です。

 

それでは、皆々様、どうかお身体にお気をつけて

良き新年をお迎えくださいませ。

来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 「今朝、とても素敵な光景が目に飛び込み、写真を撮らせて頂きました。」

 

 

 

特定非営利活動法人100年福祉会 

片山工房 理事長

新川修平