障害者枠は無い

 

そもそも、障害者枠は無い

そこには、「ひと」の枠が存在し

そもそも、障害者と共に歩むなんて思ってもいない

そこには、「ひと」として歩む事はある。

 

片山は、確かに特殊な構造で障害者と言われる方の

福祉サービスを行い、「絵」が存在するが

特殊な「絵」は1割に過ぎず、9割は「絵」を描く

「絵」も描かなくてもいいんですよ

とも、言いたい。

 

社会で確かに歩みづらい

でも、それは皆もいっしょ。

書きながら、時には、こんな、ベタベタな事を書いてみる。

 

全ては、想像力さえあれば

小さな子や人が、嬉しく悲しんでいる事ぐらい

わかる。

関わっているのは、それだけのこと。

当の自分ですら、逆の事もある。

 

大げさに、立ち回りすることが不自然に思う

僕は、長田と言う町で育った

人情味があるのではなく

人情が必要な町であった

決して裕福ではなかった、ただ人の活気を

人が作っていた。

「人」と「人」の支えで、今がある。

一人で生きて来たなんて、到底言えない。

 

今一度、思い出してほしい

友達が分けてくれた、半分のお菓子を。

 

今一度、思い出してほしい

人が人たる事を。

 

森羅万象。

命あるものを愛で

必ず愛でられている事を。

 

今日も、人と面白く

一日をクタクタに使い

充実した時を過ごし

また、キラキラした明日を思い浮かべながら

眠りにつきたいと。

 

きれいごとではなく

生きる事は、もっと泥臭い

 

良いときもあれば

良くないときもある

ごく自然の事のように

 

それは全て

ごく自然の事のように

受け入れれば

 

いずれ、半分のお菓子を渡す時が来る。

そう信じている。