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障害者アートの ほんしつ 7・1
この度、兵庫県明石市にある、「社会福祉法人明桜会すたじおぽっち」
さんからの依頼で、7月1日の講演をお引き受け致しました。
◯ 場所 社会福祉法人明桜会すたじおぽっち
日時 7月1日(土)16:30〜18:30(定員40名)
内容に関しては、いつも通りの「人が軸」をお話しするのですが
今回、あえて「障害者アート」のタイトルを引き出し
素直に、
障害のある方が描くとは
障害のある方の望みとは
障害のある方をサポートすることとは。。原点をと。
大きな風呂敷は「ほんしつ」を隠します。
ほんしつとは「物事の根本的な性質(姿)」
携わる方々の根っこが変わらなければ
本人の「花」は咲きません。
本人の「花」は咲きたいのか、咲かせたいのか
「花」ではなく、素敵な「草」かもしれません。
そんなお話が出来ればいいなと
アーティストとは「自分の想いが形になる事が大前提」
アーティストと自覚しているか「これも大前提」
「ほんしつ」とはお仕事もそうですが
本当に「働きたいのか」
そんなことをしみじみ思います。
「ほんしつ」を隠せば、社会に適合することが良い風潮として風向きが流れていきます。
これは大きな風呂敷でしかなく、核心の「自分のいきる」を実は
厳しい観点から考えると、周りが統御しているのではないか。
それを「自分・あなたが」少しだけ気付かなければ
私たちの望む明るい方向だけが、その人の道となる場合があります。
その人の道は、その人の道でなければならないと惟います。
障害者アートの「ほんしつ」を話させて頂きますが
国の施策や障害のある方のアート表現のカテゴライズされた言葉「大風呂敷」の前に
その人が本来歩まねばならない「平坦でもあり凸凹でもある道」を今一度、
根っこの部分に戻る「お話」をさせて頂きたいと思います。
「市場」と「至情」が駆け巡る日々において
人が描くとは
人の望みとは
それ以前に、「待つ」ことで、もっと信頼しないといけない
「待つ事」は「進む事」。
携わりが生業故、偏った携わりが早すぎる事で、
どれだけの「その(人)が失われていくのだろう」
そう危惧してやまないのです。
行政の方、日々大変な中、従事されておられる方
福祉施設ではなくサポートされておられる方
たくさんの関係者の方
「ほんしつ」根っこは、ご本人の「もの」です。
現在の障害のある方のアート(表現)や、出来上がりの作品群は
とてつもなく、スピード感のあるステージへと邁進しておりますが
今一度、「止まる事で見える価値を、足元に咲く一輪の小さな花や草を」
愛でることから始めなければ、
ほんの小さな角度の違いが、ながい目で見た時に、
お互いの目と目、手と手が繋げない所に行くかもしれません。
見る見られる存在の間ではなく、
ただただ同じ地面に立っているだけの事へと願いを馳せ。
この度、依頼をいただいた、すたじおぽっちの皆々様
そんな。
「アートのほんしつ」の会にしたいですね。
小さな会ですが、気に留めて頂ければ幸いです。
どうか宜しくお願い申し上げます。
特定非営利活動法人100年福祉会 片山工房 理事長
新川修平拝