障害者アートのほんしつ そして本音

 

 

 

 

 

 すたじおぽっち。室本さん、長い付き合いだけど、とても良いこと言ってたな〜。

 

 

 

 

 

あ〜。久々に、一日寝込みました。

たしか、10周年をした時以来です。

 

今は大丈夫です。

それぐらいの、熱量を出し切りました。

深夜にブログを書いています。

 

 

年を重ねるごとに、自分の「我」というか

我を先行しがちです。

今、掲載している写真も、臨場感を出そうと思いながらも

結局「自分ばっかり映っていて、それを分かりながらも載せいてる」

我です。

 

そして。。

これは、必ず「合っている」正解の無い世界に、

そう、答えは私が持っていると思い話しがちになります。

今回も、客観的に捉えながら、

でも熱くなると主観で、ものを組み立てていたように思います。

 

多かれ少なかれ、「決めること」それが僕の仕事です。

正解の無い世界に、正解らしきものをつくるとても「やっかいな仕事」です。

意見の矛先の共感度が多ければ多いほど、

それが「正解」に近いと思われる世界です。

 

 

単独の講演会は力が入ります。

テーマが「障害者アートのほんしつ」

僕の本音を言いました。

 

 

本気で話しました。

 

 

43歳のおじさんが、100メートルを本気で走りました。

 

 

僕は、幼い時、お米屋さんから10キロのお米を買ってくるのがお使いでした。

その時に感じた10キロはとても重かったのを覚えています。

どうしても軽くならなかった。。

でもあるとき頭に乗せたら軽く感じたんですね。

またあるときは、途中で友達にあって半分もってくれました。

またあるときは、5キロのお米を往復したら10キロで、

これが一番よかった。

で、ある時まで、この5キロ×2を続けていました。

 

でも、最後はなぜだか、はじめの10キロを担いでました。

 

10キロの本質は「変わりません」

どうしても、気休めで、あたたかくしても、やさしくしても

10キロは10キロです。

 

 

当日は、とても厳しいお話しに聞こえたと思います。

もっと柔らかくすればと。。

でも10キロを話さなければ、なんの意味もなさないと覚悟の会でした。

 

 

今回、この場にお声をかけて下さった、すたじおぽっちのみなさん。

気に留めて下さったみなさん。

会場にお越し頂いたみなさん。

 

 

自由の場を与えて下さり、ありがとうございました。

色々なご意見も僕の身体に入りました。

 

 

そして、絵を描いて下さっている、みなさん。

みなさんが本当に仕合せなら

僕は本望です。

 

 

本の音。本音。

やっと、本当のページが一枚めくれたような。

 

また、必要な時に必要な場で

求められる「その場で」

お話ししようと思います。

 

 

ありがとう。

 

 

 

余談。今日は炎天下の中、草むしりをしていたら

父が、高齢で免許を返納したので

区役所でナンバーズをもらったと言った。

 

たしかににてるよ。マイナンバー。

 

 

そう、それは「とても重たい私のもの」

 

 

 

 

しんかわ拝