我に返る

 

蝉がゴーと鳴く、いや〜精一杯無く。

 

 

 

 

最近緩やかにおもうこと、多々あります。

ここ数年、ありがたいことに、依頼や出会いの機会をいただいて

そして、少し恐縮する日々です。

もっと恐縮するのが、用件や案件の内容(特に片山工房に必要か否か)

の判断基準でお断りをしているケースもある。

申し訳ない気持ちでいっぱいになります。。

 

やるべき事を地道に見失わずに進むには、必要な採決なのですが。

 

僕も人間です。

 

そして、また、想う事。

 

僕の本職は現時点では、福祉施設の経営にあります。

これは、表に出歩く仕事ではなく

常に裏方を大切に保持し、維持する職でもあります。

みなさまから頂いたタックスを必要と想われる行為で恩返しする仕事です。

法人税をたくさんお払いする事も(片山の存在意義の)意味を成しています。

 

 

 

最近は、いかに自分を無くすかを考えています。

あるとき、三女が鏡越しにこっちをみていました、

そしてフッと微笑んだんですね。

そして僕も微笑んだんです。

そのとき、鏡には自分は映ってないことに気づくんです。

いつもは自分の鏡から、少しだけ角度を変えると、

相手や周りが見えるんだな〜と、

そんなことを三女に教えてもらいました。

 

 

 

 

 

 

片山工房は、とてもみなさん休まれます。

採算としては、とてつもなく厳しい時も多く、

数字は常に浮き沈みするのですが、

この浮き沈みは「生ききる脈泊」そんなことを思います。

常に平坦は無く、常に平常は無く、不動も無い。

でも、笑顔は泣いてて、しかめっつらは微笑んでる、

それを気付いて日々を送りたいと、それが分からなくなったら、

このお仕事の引き際を意味します。

 

 

 

 

 

 

 

どんどん失っていくと、どんどん必要なものが分かります。

大きなものを失うと、足元にあるとても必要なものが見えてきます。

か弱い自分が、小さな小さな志をみつけ、ゆっくり背を丸めながら

立ち上がろうとしていたときの「こころざし」が僕の帰るところです。

 

 

 

でんぐり返って

我に返る

 

 

 

 

失うと

見失うわ

全く違う。

 

 

 

世の雑音が多い中、常に淡々と何の脈絡も無い文面を

書かして頂いていることに

スタッフの川本尚美・榎宣雅・久保遥

そして来て下さっているたくさんの方々

片山の小さな場の50名の大所帯に感謝しています。

 

 

 

柳が揺れているのは

風が動くから

 

 

カブトムシが登れるのは

木が止まっているから

 

 

 

 

 

蝉が「ゴン」と泣き

我に返る

 

 

 

 

 

しんかわ