© 2013 片山工房 Facebook
2色の葡萄
作成日時: 2018/11/13 (火曜日) 15:17
我が家の朝食は慌ただしい。
高校生の長女から小学生の次女、幼稚園の三女とみんな音色が違う。
いつもの光景ではあるが、みなギリギリに身支度をする。
奥さんが、2色の葡萄を出した。
「赤いのでも、青いのでも良いから、食べていきなさいと」
次女が、「それ、紫色と緑色やで、と」
そのやり取りが、なぜか僕の頭にのこる。
昔、何かの授業で、黒・白・赤・青が基本的な色調だと聴いた事があった。
それは、文化的な事もあるのだろうが、黒い・白いなど、
この4色は形容詞としても用いられる豊かな「ことば」のように感じていた。
青毛の馬や、昔の馬には、アカやアオと言う名前をつけられたように。
話はもどるが、奥さんが話した、赤いと青いはとても大きく捉えてはいるが、
代々受け継がれて来た、豊かな感性のように感じる。
確かに、紫は紫、緑は緑なのだが、もっと大きな意味のグラデーションが存在し、
色を仕切るのではなく、全ては滑らかにつながっているもののように感じる。
多分、しっかり調べれば、良いのだが、
自然のものを色に表して来た文化が美しく、目が肥ゆる。
その中でも、良い意味の「曖昧さ」が決めつけては行けない、
グラデーションのように思い、整理するという感性は一つの色を的確に出すだけではなく、
紫のものを赤に感じ、緑のものを青く感じることではないかと。
これは、「大雑把な視点」ではなく、
人と人が保つ、色んなことを受容する目「大きな整理」につながるのではないかと解釈している。
この辺りのお話しは、みなさんの方がお詳しいとかんじながら。。
なぜか、僕の中で全てをシンプル且つ包み込む、
この表現を「大切な感性」として受け継いでいきたいと思うのです。
しんかわ