無いがある

何もかもが、フラットになっている平坦に。

 

スマホにおいても押す場所がない。

滑らかな感覚が、人間の豊かさを奪うような

凹凸が無い時代。

 

人間関係も良い意味の面倒くささの中に鍛えられながら、

生き様を得る事が出来「自分の得たい本質である真実」が潜んでいる時もある。

でも、世の中は只只、快適性とスピード感を重視し、

何もかもがフラットの代名詞になるAIに任せる時代が歩み寄り。

痛みを消し去る世の中の到来とも言える。

 

どの分野に置いても、上の層を切り取る作業はとても楽しい、

でも重みを感じない。

重みとは、それまでに苦労を重ねているか、

それが出るまでに

とんでもない労力と費用と研究と探求をかけて真摯に向き合っているか、

確かにスピード感のある社会の押し出しはとても大切なのだが。。

手先の器用は大切でもあるが、人生の器用は不器用に等しく、

凹凸の生活文化が消え行く。

 

大きく回す事は、人を大きく信じることに通じ、

小さく回す事は、人と寄り添う事を意味するような。

この大小こそが凹凸と化す。

経営や経済もそうだが、先を見据えての今がある。

長く続くことが時代の寄り添いでもあり、

先ずは最低限、念頭においている。

 

結果ばかり追うのではなく、

その土に触れてみて、そこに種を蒔けるか考える、

そして水やりはどうしたらいいのか、日差しはどこから入るか、

その風土にはどんな種が実るのか、

肌で感じ、凹凸を読み取る膨大な時間が必要であると感じる。

そこから、時代に寄り添える結果が引き寄せられる。

 

最近は、「待つこと」を「寝かせる」と意味合いを変えている。

待つのではなく寝かせる、ただ待つのではなく、未来ある待つをしたい。

 

子どもたちは、youtubeをよく見る、その影響で僕も観る。

ただ、距離を置いて観察分析すると、

とても簡単な構図を意味し、TVの視聴率が、

毎日に近く配信するyoutubeでは再生回数になり、いかに人を惹き付けるかが鍵になる、

どちらが悪いとはそんなことは思わないが、

長い目で見ると、構成力と持続性において、

この移り変わる時代のスピードならば、長期戦では戦いにくい。

 

これも、凹凸が足らない。

 

 

これからの時代の凹凸と品質を覚悟をもって、

今一度「考動」したいものである。

 

 

 

しんかわ