文化のヒーロー

 
ま、いつものお堅い文面だが。。。
文化とは、その定義に置いていくつもの「ことば」があり、
生活様式の総体であったり、言語・習俗・宗教の制度、学問や芸術。。
 
cultureとして加われば、とり方はいくつもある。
3月下旬の片山工房の作品展の開催において、
今回屋号に、神戸市文化活動功労賞受賞記念とある。
昨今の風潮や流れ、そして足並みを鑑みれば延期の線が濃厚である。
えっ、そうなんや〜と人ごとのように眺めてみる。
 
ただ、僕が言いたいのは、天保の改革(古い引用だし時代背景や世相が違うが)ではないが、
文化としての余白、文化としての楽しみなくして、経済は回らない。
 
文化的ビート、文化的ヒーロー(分かりにくい言い回し)は
経済(暮らし)と輪っかになって勘定・感情・環状線みたいにつながっているのだと解釈している。
得体の知れないものこそ、対峙しいくつものサンプルからデータ収集、
そしてある程度の安全性を見出すしか方法がなく、
絶対に罹ってはいけないのだが、罹らなければ分からないのも実情でもある。
まあ、罹ってはいけないのが当たり前の提だが。。。
医学の進歩も繰り返し繰り返し。示す人は文徳によって教化する。
 
日本の自粛ムードや国民性、今の現況を正していることは相当価値があると同時に、
時として文化のヒーローが脳裏を過る。
人の悦ぶ「顔」明るい兆しをつくるのが偉そうだが、
生業であるように。今回に限らず常に悦び生きる事はリスクのカバンを肩にかけている。
 
楽観はしないが悲観もしない、
 
まあまあを取り戻す事は、
あるいみまあまあ腹をくくること。
 
まあまあそういうこと。
 
 
しんかわ