「なにも無い世界」

 

 
片山工房は、この祝日も開所している。
今回のコロナ禍の中で、なにが常識で何が非常識なのか、とても判断に困る。
これと言った正解の無い状況下で、人はどう判断するか千差万別でもあり、
御上も経済の救済が第一義の手探りだと、
このような「なにもなかったような世界」をつくり出す。
 
これは、あたかも、今、「なにも無い世界」になっているのではないか。
先の読めない状態は、人や物の単位でも、神経を使っていないようで、
相当な神経をこの「なにも無い世界」に費やしている。
みな「それ」に気付いているが、
「それ」に気付かないように暮らしている。かも知れない。
 
通われている方やスタッフ等
日々、同じリズムで過ごしながら、
でも、いつでも自宅で絵が描けるように「心構え」をしている。
この「心構え」が前進する意気になっている、色々な水路をつくり、
気持ちや行動の決壊をおこさないように、細心の注意を
払い遂行している。
 
「なにも無い世界」から、ひとつひとつ、確認しながら、
ふたつふたつ、小さな何かをみつけて
「ある世界」にたどり着こうと、意識を高く築いている。
 
人や物や形や色を伸ばすには、
 
その方々の「より良い暮らし」を十二分に理解し意識して、高い所に持ち上げたい。
低きに下げる「言の葉」は消す必要がある
 
現在進行の状況ではあるが、悲観する事無く
片山として、自分として
「ある世界」を半歩ずつ歩んでいる。
 
 
 
聞く工房
見る工房
話す工房
 
そこに
ある工房
として、、。
 
 
しんかわ