文化とゼロの力は引き合う

 

 

文化賞を2年連続で頂いた。

大変名誉なことであり、大変恐縮するものでもある。

本当に頂いてよいものか、今でも不思議な気持ちになる。

 

そう言う想いの中、文化とは何かと考えてしまう。

辞書を引くと、人類の理想を実現して行く、精神の活動。

技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形作られた、

生活様式およびそれに関する表現。

などなど、芸術に関して鑑みれば領域はとても広い。

 

では、片山工房の文化とは、何かと考える。

例えば、障害者が絵を描くのではなく、人が絵を描く。

はたらくことを広義的に捉え、

表現から社会にはたらく想いも込め「はらたくの意味合いを変えた」

 

障害のある方の表現をサポートするのでなく、

一つの価値を見極めるため「一緒に居る」ことが、サポートと成している。

いや成して見えるのだろう。

どれもこれも、新しい創造性に他ならないと考える。

 

文化とは、新しい物を発想し動かす力と継続する姿ではなかろうか、

そして時代にマッチしない時期かしているが浸透していない時期を経て

数十年後時代に浸透しタイミングとある種の運が兼ね備えた状況を意味する。

 

文化とは、誰かが振り向かなければ存在することはなく、

今に価値を示していなければ立ち位置を失ってしまう。

そして永続的にそれが維持しても良いこととして成立する。

 

一本の「木」には、

表面上現れる部分と同じ大きさで見えない同等の部分があると習った覚えがある。

それは、知識や考えを見えない部分が支え、花や果実は表現へと昇華する。

そんな想いを抱きながら今のスタイルとなっている。

 

片山工房の文化は、人と人の営みの中から生まれでた「命」であり、

普通に生きると言う、命題を、かけがえの無い「生活」で編んでるのではないかと。

ゼロから産み出されたものは、文化になりえる力として。

 

まだまだ、文化の誉れを頂くには、おぼつかない足ではあるが、

18年歩んだ葦でもある。

 

それをふまえて、

皆々様、この小さき歩みを見守って頂ければ幸いです。

 

 

しんかわ拝