会話と対話

 
「会話」とは、ざっくばらんに用を進めるような、でも人を安心させる行為であり、
「対話」とは、要件・意味をなし、深く共有と共感をえる行為かもしれない、
今、とても求められているのは、社会のスピードがあまりにも速く、
対話が出来ていない点にあるような気がしてならない。
 
よくメールの最後に、また話しましょうみたいに終わることが多いが、
人は本質的に会話ではなく、対話を求めているのかも知れない。
 
僕自身もそのくちで、インフォームドコンセントではないが、
説明や順序で納得したい、故に対話がなくなると、色々な小さな物が積み重なってしまう。
何と言うか、身動きが取れない感じが残る、
日々の会話は成立して入るが、特にこの時期(コロナ禍)ではないが、
オンラインでも会話が主流となっているように思う。
 
今の自分を安定させ、安心させるには、
一人でもよい「対話」する人が必要だと感じている。
会話と対話をうまく使いこなしながら、
腑に落ちる状況をつくり、自分の声と相手の声に傾けたい。
理解されること、互いの存在を認めること、
人を尊重することには「話と和」を持って対話を意識したい。
 
当たり前のことを見過ごしがちにならないよう、
足元の靴ひもがほどけていないかチェックしたいものである。