ボリュームとリセット

このコロナ化以前の問題でもあるが、年を追うにつれ

仕事のボリュームも膨らんできた、結果として求められる回数も多いが

力の配分を見失う。

言い訳になるが、日々の思考の雑踏に巻かれ

本丸の的を射抜く力と目が眩んでいるように思う。

 

人間と言うのは、いかに曖昧か、

その曖昧な加減がこの世界で生き残れた象徴のように思い

そこには、量と言う単位としてボリュームがある、

歳を追うにつれ、ボリュームゾーンは大きくなるが、

扱い方に注意しないと、思考には異物が残り、発言に精細さを欠く、

複雑に交差する事柄が絡まりすぎ

結果伝える伝わるというシンプルさを失う。

 

小学生の子供と中学生の子供は扱いにボリュームが違うように、

だんだんと手間暇の手数が増えてくる。

いかにして、ストレージを見るか、その中には、空きはあるが思考の劣化で

アップデートしても重たい状況が続く、空きはあるのに空きがない状態と化す

いかにして、新しい思考を取り戻すかがカギとなり

それには、「無理でも休む」勇気と「偶発的に休む」契機がスリーンな状況に戻す機会となる。

 

とはいえ、「休めない」となると雑音と雑念が溜まりすぎ、軸をも見失う、

スマホではないが、一度電源を切る英断が必要になる。

すなわちリセットする力を備えなければならない。

昔のファミリーコンピュータには、曖昧な人間的な構造をしていた、

カセットを息で吹いたら、ゴミが付いていたせいか、

正常になるみたいに、リセットが必要になる。

 

「休む」ことこそ、正常な栄養となるに違いない。

小さな矢を連続で小さな力で引いても、飛距離と的はたかが知れている。

大きく矢を引き、年に1回の必要な的を射抜く

そんな力を備えたい。

 

10年育てたオリーブの木に今年初めて身がついた

宝石のような身が、、・

 

やり抜くことを見抜き

ただ一点を貫くことを成すには

常時、クリーンな思考である事が大前提である。

 

 

新川修平