まぜこぜ一座公演 月夜のからくりハウス『歌雪姫と七人のこびとーず』観劇の素直な思い。

 
僕としては、障害のある方の福祉施設の代表として、
20年突っ走って来た身として、そして「人が軸」がイズムとして成り立つ場で、
このような障害のある方の一同に集うパフォーマンスは、
社会的な作品として、あえて自分から観ることはなかった。
 
それは、見世物小屋と言う概念よりも、
何を成立させるのかが自分としては見いだせない世界でもあった。
 
そんなことを思いながら、半信半疑の中、幕が上がる、
一枚一枚ページをめくるみたいに、表現者が物語と寄り添いながら、
自分の高みを目指しているパフォーマンスに気付けば心が揺さぶられていた。
 
糸あやつり人形・アコーデオン・義足のダンサー・三味線
自閉症のダンサー・全盲のシンガーソングライター・ドラッグクウィーン方などなど、
一流の表現者の方々に、ジリジリと次は感情が動かされていた。
 
観劇をしながら、障害者ってなんだろうって、、、観るもの全てに、
心があり、語るもの全てに、心がある。その場のエネルギーに一点の曇りがなく、
ただ今を自分という存在の叫びが僕に突き刺さる。
 
僕としては、とってもダサい言葉で日常であえて使わないが、
そこには正真正銘の「情熱と一所懸命」が舞台をギラギラと熱していた。
 
手を大きく拡げた世界の中で、僕のちっぽけな価値観なんて取るに足らず、
一枚岩の大合唱のように迫り来る場はレ・ミゼラブルを彷彿とする感覚に心を鎮めることが精一杯だった。
 
東さん率いるまぜこぜ一座、でも混ぜてもないし、捏ねてもない、
人と人の当たり前の存在と当たり前の尊厳と尊重が埋め尽くされている。
 
見終わった後、かなり疲れた、良い疲労感とでもいうべきか、
人が自分を自分として話すこと語りかけることは、人の心の芯に響くものである。
 
エンターテイメントとしてざっくり終わるのではなく、
さらに上の世界観に魅了された日でもある、自己の表現を出し切ることは、生き抜き生き切る証明。
そんな証明書を頂いたのである。
 
僕もあれだけのエネルギーと出し切る心があれば、今の工房がもっと高みに上るに違いない、
帰路に着く中、その証明書を握りながら、ポケットに収めた。
それはもう、瞬発的な感動ではなく、僕と一緒、人と一緒に歩んでくれる人達なんだと。
 
次、もし公演があるとしたら、奥さんを連れて行こう、
子供たちを連れて行こう、スタッフを連れて行こう、みんな連れて行こう。
 
 
そう、この一座は、けれんみがない、王道の一座であるから。
 
忖度なく書き記す。
 
しんかわ