原点

 
先ほど、9月開催のアメリカでの片山工房展覧会についてZOOMを終える。ふ〜と。何事も原点回帰が大切である。
シンプルにシンプルに、色々なものを削ぎ落とし、伝える伝わるが基本。
僕は障害のある方のアートをしているのか、障害のある方の支援(支援は好きじゃない言葉)をしているのか、
では、何をしてきたのだろう20年も、、。
答えがあるわけではないが、多分、人が何かを生み出すこと、
人が面白いって感じること、人の未来が見えること、人の明るさが肌で感じること、
人が、、。
そんな些細でも、明日の活力になる今を想像できる場を作りたいって思ったんだと。
 
澤田隆司さんは、右足が使えたので、その右足でできることを考えたら、
絵の具の入った紙コップを蹴って、画用紙にブワ〜って色が染まったことが超楽しかった。
 
深田隆さんは、ヘッドギアに筆をつけて頭をググ〜て動かしながら書を書いたら、
思った以上に味があってめっちゃ面白かった。
 
湯井亮さんは、トミカの車を見て、必死に無言でリアルに描いていく
そして背景が誰も描けないくらいの迫力で、そのミスマッチ感が心を動かした。
 
松浦愛夢さんは、その小さな体で自分の3倍上のキャンバスに描く
そしてデフォルメされた作品があまりにも見本と違うギャップと色彩感覚のセンスに皆が驚いた、、
まだまだ数えきれない程のストーリーがキラキラが存在していて、
その現場は夢を作っているように思えた、だから、大好きなんだ。
 
原点は、その絵を見たときに衝撃が走った言葉「明日何しましょう!」
そう、今のドキドキしたことを明日もしたいって!思ったのがキッカケ。
 
昨今、だんだん、障害のアートやなんやらで、社会を変えようとか、
何かにつけて社会の文字がでるけど、そんなに「社会」っていい文字なのかな〜。
本人より周りが騒いでいて、本人は今を生きてるんだよって。
そう「今を生きているんだって」たまたま、障害の施設になっちゃったけど、
可能性のあることに注視しただけで、人と人を見て目を摘まない姿勢で、
言葉が話せない、でも、いっぱい文字を書いて、
色んな認識ができたら、根気よく、隣で携わっていたら、
いつかいつの日か「water」って叫ぶかもしれない、そんな事を本気で待ってる場なんだよ片山って、、。
 
シンプルに原点を見つめ、社会を意識せず、人と人の移ろいの中で、
可能性に火を灯すこと。信じること。そんなことしたいし、そんなことしたいって始めたんだよな僕。
だから、働くや最低賃金や商品化や原画販売や、
そのうねる市場性ある中で「あなたを失いたくない」人を灯したいのです。
でも、人間だから、いい話きたら、動くよ。それも100年続く事ならなおさら。
 
今は、安定思考になり過ぎてて、失敗を恐れている時があるけど、
原点を見つめてたら、失敗ばっかし重ねてたし、成功の鍵は、失敗の凸凹が鍵の凸凹となって、
自分の扉が開くんだって思う。世の中可能性ある人しか存在していないから、灯さなくちゃいけないんだ。
 
しんかわ