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人が軸の本質と本意
人が軸
今日は、休日である。
でも、整理するには絶好のタイミングであって、ある意味仕事に追われない
「時」ほど、仕事を客観的に考えることが出来ると言うもの。
ここ数年、ありがたいことに色々な方々とお会いする機会を頂く。
ま、仕事内容と連結して、障害のある方の〜〜〜が主題だが、
どんどん話していくと「人」の話しかしていないことに気付く。
片山工房の作品は、アールブリュットではない感じですね〜とか
アウトサイダー?障害者アート?なんとかアート?
もうそろそろ、人のつくったものにしてくれないかとつくづく思う。
福祉施設に障害のある方のアートは、
ただ、障害のある方の場と継続性のある事業に18歳以降集まる構造故に、
主に障害のある方のアートが蔓延している場(実情)として
認知されているが、そもそもプロは少ない。
でも、障害のある方の人間性や素敵な表現力の強さが、
色々な方々の心を動かしているようにも思うのだが、
僕としてはそれこそが「必要枠」として
存在することが寂しいのである。
言わないと分からないのではなく、
気づいてほしい為に「障害者」が動かないと行けない、
ご本人の望む望まない方向でも、社会構造の為のシステムが、
つまらない。
「枠の中で物事を考え、枠の中に枠をつくる箱に素敵な未来を感じる訳が無い。」
最近、他の分野の方とお話するが、そろそろ気づかないのかな〜と。
世界の情報に国の政策に地方の考え、
そしてトップダウンされていく最後の場が福祉施設。フ〜である。
つい先日、障害のある方の、働くことと題して、
お話をした、特別支援学校の次の場は、就労一本に近いらしい、
「進学」と言う文字が極めて少ない理由だが、
就労と進学、そして、働くことが生きることの代名詞も疑問である。
では、働かないことは。。でもある。
「生きていることは、働いていること」
それくらいのキャパシティある姿勢はないのか、
これでは国と地方は、「働く稼ぐ」「納税する」ことが美学として、
極端な社会構造に陥る。
出来る事と出来ない事がある、
そう、職場でも、部署が違うように、
理系や文系や〜系があるように、
運動好きに、カラオケ好き、ま、その反対も。
「人」には向き不向きがあって◎。
自分たちは、その多様性を存分に活かされていることに、
気付くべきである。
今、居る事は、その証である。
では、障害のある「人」とは。
ひとくくりにしてはいけない。
そして、枠作りをしてはいけない。
そして、してあげてはいけない。
みな、何の「いくさ」を望んでいるのか
今一度、根幹を探ってはくれないか
初めに感じた、直感が素晴らしかった事に。
世界中誰しも、お役目がある。
誰一人として「無駄」な存在は存在しない。
休日に、まとまりなく、まとまった気持ちで発信してみる。
子どもが、遊んでくれと言うので
これまで。
人が軸とは、力を散じる昨今に、必要かもしれない。
今日は、これまでです。
しんかわ