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スズメバチ
作成日時: 2019/08/16 (金曜日) 12:12
人それぞれの普通は違うのだが、研ぎ澄ました時の普通の目は光を見ている事が多い、
研ぎ澄ますとはとても忍耐が必要なことである。
自分を如何に消すか、他の能力を信じるか。
最近も人に会う機会が多い、特に初対面の方が多いが、
やはり礼儀と言葉遣いで測れるものがある。
先週、片山工房の電気が3分の1消えた、
大抵マイナスがあればそれ相当のプラスが生じる。
その時も、ある町の電気屋さんが汗をかきながら直してくれ、
あまりに小さな故障だった為か、なにも受け取らず帰ろうとした
これではと思い、ばらソースをお渡しした、
色んな要因を鑑みての電気屋さんの判断だが、
これには頭が下がる思いだった。
あの方の目にはこれが普通だったのかも知れない。
駄菓子屋で、次女と三女にいつも買うお菓子ともう一つ「飴」を買おうとした時、
ふたりにお母さんに内緒やでと話したら、
ふたりが、私たちとお父さんと神さんは知っていると言った。
あのふたりの言葉にはこれが普通だったのかも知れない。
世の中には、たくさんの普通があるが、今一度考えたいものである。
水は低きに流れるもの、低きは濁る。ならば源流の澄んだ目でいたいもの。
お会いする方や、案件、巡り合わせ、ご縁、長期戦、ビジョン、風鈴に蝉の声。
常に自分を磨き研ぎ澄ましていたいものである。
出会う方、寄り添える方は全て自分の鏡。
向こうから自分が歩いてくるのだと。
地味が派手であり、地道が成長であるように。
光射す方向は出口ではなく、入り口のように。
普通の方と普通に歩みたいもの。
心の目を大切にしたい。
台風が去った青空を見上げながら。
スズメバチが空高く舞い上がり
小さな虫が靴を横断した。
しんかわ